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1998 My 寒假 3. 各地のエピソード (3)成都着。でもすぐ峨嵋へ。②
2007 / 10 / 21 ( Sun )
※このレポは、しーぐぅが上海へ留学してた時代に書いたものです。
後半(いや途中)から、手持ちのノートをもとに書いていく予定です。


①はこちらをお読み下さい。

駅から出て、さぁ、宿探しをすっかと歩き出したが、あちこちに峨嵋※1行きのバスが
とまっていた
呼び込みの男性に、峨嵋山に行くのか何時間で着くか、いつ成都に戻ってこられるか等
質問して、飛び乗ってしまった

成都に3日間ぐらいいる予定が、
ここで大きく狂ってしまった。


バスには私を含め数人しかいなかったが、出発した。
中国のバスは満員にならないと出発しないのに、おかしい珍しいこともあるもんだと思っていると、案の定比較的込んでいる別の峨嵋行きバスに乗り換えさせられた。再び出発。

しかし、その30分後また乗り換えさせられる。2度めのバスの行き先が書いてなかったので、
また呼び込みの男性に聞く。峨嵋に行くとのことで一応安心して乗る。

この時点で3時頃。日が傾きつつあり、道路の両わきに広がる田んぼの風景に映える
バスの運転手のわきに座っていたので、目の前の風景がひろがっており、惹きつけられていた

トイレ休憩で、中国に来て初めてしきりのないトイレにも入った
旅では男にならねばと思っていたので別にショックはない

开发区※2と書かれた街を通ってが、どう見てもいなかに少し店を付け足したようにしか
見えない。しかも、春节なのでどこも休み。さびれている感じにも見えた。

交通標識が見え、まっすぐ行くと乐山※3で、あと~km、右にまがって進むと峨嵋山~km
あった。バスはまっすぐ進んでいたので、ああ先に楽山に行ってその後峨嵋山に行くのかなと
思っていたら、突然車がとまった。

乗客が呼び込みの男性に文句をつけていたどうしたんだろうと思って、騒ぎを傍観していると
报国寺※4行きの車の呼び込みの人がバスの中に入ってきた。
私が乗っていたバスの呼び込み男性が、报国寺行くんだろ?降りろ」と私に言ってきた。
「あれ?このバス报国寺に行かないの?」
「行かない」
「え~、どーして教えてくれなかったの~~!」


私は腹を立てつつも、このバスが峨嵋に行かない以上は降りざるをえない
报国寺行くのかと呼び込み男性に聞いたので印象づいていたかそこはよかった
(聞いた時、相手の言っていることが听不懂だったけど)

一部の乗客が文句をついていたのは、どうやらバスが峨嵋に行かないとわかったからだろう。
私を含め峨眉山行きの客は皆降りていた。
バスに書いてある监督电话※5の電話番号をメモしてる人も

そんな人たちを尻目に、私は报国寺行きのミニワゴンに乗って、再び出発。
私は隣に座った呼び込みの女性に、本当に报国寺行くのかたずねる。
ついで、2度も乗り換えさせられ、2度めに乗り換えたバスは乐山行きだった・・・とひとしきり愚痴をこぼした。この女性は話をきいてくれ、それから心配するな、これは报国寺のふもとの宿に行くし、翌日峨嵋山にも行くからと説明してくれた。宿に着くまで、この女性と話をしていた。

夕方5~6時頃、宿に到着。ここで再びちょっとしたトラブルが。
車を降りてすぐ、宿の受付カウンターで申し込みをした。单人间※6希望なので服务员に告げ、
一人部屋があるというのでお金を払って部屋へ。
受付カウンターと部屋がそれぞれ別の建物で離れていて、部屋のある建物へ行った。
すると、そこのフロントで单人间没有。但是有双人间、所以还要付30块钱※7
服务员と呼び込みの女性

え~!?約束が違う!
さっき一人部屋あるって言ったやんか!!
とここらは日本語で文句

刚才她说有单人间、为什么?」※8
对不起、没有※9
那么为什么你不说没有单人间?」※10
因为不知道※11

グルになってるとしか思えなかったが、とにかく宿で早く休みたかった。
でも、そのまま素直に30元払うのもいやだった私は、さらに10元だけ払って部屋に通される

あす(1998年1月29日)は5時に起こしに来るからと呼び込みの女性が言って出て行った。
列車のせいで2日もシャワーを浴びられなかったので、すぐふろおけに湯をはり、ふろに入ってその日は早めに寝た

<音と意味など>
※1 オォーメィ
※2 カイファーチゥ
※3 ラーシャン:世界遺産・楽山大仏がある街。
※4 バォグゥォスー:峨嵋山への入り口の寺
※5 ジィェンドゥーディェンホヮ:バス・タクシーに乗って何かトラブルが起こった時、苦情申し立てる連絡先。
※6 ダンレンジィェン:一人部屋。二人部屋は「双人间(シュヮンレンジィェン)」
※7 ダンレンジィェンメイヨゥ。ダンシ、ヨゥシュヮンレンジィェン、スゥォイーハイヤォフーサンシクゥヮイチィェン:一人部屋はない。二人部屋ならあるから、あと30元払え。通貨単位の「元(ユヮン)」の話し言葉。ちなみに、元の下の単位「角(ジィァオ)・分(フェン)」の話し言葉はそれぞれ、「毛(マォ)・分(フェン)」。
※8 ガンツァイターシュゥォヨゥダンレンジィェン、ウェイシェンマ?:さっき(フロントの)彼女が一人部屋あるって言ったのに、どうして?「」は相手が女性である時に使う。ちなみに男性の場合は「他(ター)」
※9 ドゥイブチー、メイヨゥ:ごめんなさい、ないです
※10 ナマ ウェイシェンマニーブシュゥォメイヨゥダンレンジィェン:じゃ、どうして一人部屋ないと言わないの?
※11 インウェイブヂーダォ:だって、わからなかったから

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1998 My 寒假 3. 各地のエピソード (2)火車车的第二天
1998 My 寒假 3. 各地のエピソード (1)火车里的第一天
1998 My 寒假 3. 各地のエピソード (1)火车里的第一天
1998 My 寒假 2. あれッ?!~実際にたどったのは~
My 寒假 1. はじめに~当初予定してたコースについて~

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1998 My 寒假 3. 各地のエピソード (3)成都着。でもすぐ峨眉へ。①
2007 / 10 / 02 ( Tue )
※このレポは、しーぐぅが上海へ留学してた時代に書いたものです。
後半(いや途中)から、手持ちのノートをもとに書いていく予定です。


きょう(1998年1月28日)も朝7時半すぎに起きる
春节1日めなので、广播※1でも
旅客们、春节好!!」※2
と言っている。

春节の1日め、いよいよ私の旅が始まろうとしているのだ。
どんな旅になるのか、そして早く列車から降りたかった。列車2泊は結構たいくつなものである。

成都到着まで、あと5時間ぐらい(12時半着)だ。

途中の停車駅(广汉※3)のホームに人がいっぱいいるのを見た。多分出稼ぎから帰ってくる家族の到着を待っているのだろう。
中国の大型の休みは人民移動の時でもある。まだかまだかという表情が待っている人たちの
顔ににじみでている。

そして、車窓から見えるどの人家の入口にも春联※4が貼ってある。
入口の地面には赤い紙のくず。多分、鞭炮※5のくずだろう。爆竹が鳴っているのを見たくて春节
第1日めに着くようにしたのに、見られなくて残念だ※6

また、途中に見えた罗汉寺※7に人がいっぱい参っていた。やっぱり春節なんだなと思わせる。

そろそろ到着する時間(12時半)・・・なんだけど、まだ終着駅から数えて3つめの駅だ。
よ~く放送を聞くと成都到着は1時20分頃らしい。どうりで、ここまで来るのに一旦5分ぐらい
列車がとまったはずだ。そこからは川が見えて岸の田んぼの緑と色が合っていたのでしんどい
思いをして風景をカメラに収めた私の様子を見かねて、乗客の中国人が窓を開けるのを
手伝ってくれたり、撮るのに最適な場所を教えてくれたりした。

カメラを撮り終えるとやることもなくなり、到着まで車窓から風景をながめて待っていた。
ほんと退屈

予定時間より約1時間遅れて、やっと終着駅 成都に到着。

「太辛苦了!」※8という列車員の言葉をうけながらホームに降り立つ。
さぁ、ここからが本当の旅だ

<音と意味など>
※1 グゥワンボー:放送
※2 リューカーメン、チュンジェハォ:乗客のみなさん、春節おめでとうございます。
※3 グゥワンハン:列車の通過駅の名前。駅名が見えたのは、列車がゆっくりと進んでいたから。
※4 チュンリィェン:旧正月に門や入口のかまちに貼る、めでたい文句を赤い紙に書いた対聯
※5 ビィェンパォ:爆竹。放鞭炮(ファンビィェンパォ)で「爆竹を鳴らす」の意。
※6 当時から、大都市(北京・上海)などでは安全のため爆竹を鳴らすのが禁止されていました。しかし、習慣とは怖いもので禁止されていても上海では爆竹を鳴らす人が多かったとか。
※7 ルゥオハンスー:罗汉像が祀られているお寺。
※8 タイシンクゥーラ:お疲れさま!

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1998 My 寒假 3. 各地のエピソード (2)火車车的第二天
2007 / 09 / 25 ( Tue )
※このレポは、しーぐぅが上海へ留学してた時代に書いたものです。
後半(いや途中)から、手持ちのノートをもとに書いていく予定です。


翌朝、7時半ぐらいに目が覚める。朝の洗面ラッシュで水道のところはいっぱい人が並んでいる。ついでにトイレも。
私は列車の中でよくお茶を飲んでいたので、トイレにはよく入ったのだが、もう最悪
おっきいのが、堂々と中に居を構えていたりするのだ※1
始めのうちはもう一つのトイレに移動してしていたのだが、もうそのうちに見慣れてしまった。
・・・こんなところが”旅では男になりきる”コワさではある。

一日めは列車の景色が物珍しかったが、だんだん飽きてきて、種をバリバリとかじりながら
ガイドブックに目を通してコースを考える。

昼ご飯を終えて、そろそろ緊張してきた。無事に西安からの切符が帰るのかなぁ・・・そんなことを
景色を見ながら思う。夕方5時すぎに西安に着く。忘れないようにせねば・・・。
夕方に近づくにつれて太陽が傾いていく。列車から見る夕暮れの天気は味のあるものだった。
表で遊んでいる子ども、たたずんでる老人、広がる緑の田園。
日本も昔はああだったんかなと思わせる。

西安に近づく前になると、列車員が西安で下りる客に切符を返し、牌子※2を回収してまわる。また列車員に乗り越しについてたずねると、「7号車の弁公室※3に行け」と言われた。まわりの人たちも同じことを言っていた。

夕方4時51分頃、西安站※4に到着。一日めに話しかけてきた男性が「買い忘れないでね」と気を遣いながら下車していった。発車までの数分間(5時3分発車)、どこからかにぎやかな音がきこえてきた。出入り口へ出ると、ほんの少しだが緑の軍服を着た男性たち(20~30人ぐらい)が駅の
ホームで楽器の音に合わせておどっている。
今日は新暦では1月27日だが、旧暦では12月31日除夕※5だからそのためのもよおしだろう。
ほほえましい風景だった。

5時3分 列車が発車。さぁ、事務室へ行ってのりこし切符を買うぞ。・・・と勇み足でずんずん進む。私が乗ってる硬卧车※6から餐车※7をぬけて、软座车※8硬座车※9まで来てしまった。

あれ、おかしい。事務室はどこだ??

人をつかまえてきいてみると、食堂車内だという。確かによく見ると硬座车は9号車となっている。
ありゃ、来すぎてしまった。折り返そうとしたが、この硬座车は入ったときからものすごい光景だった。
人がびっしり車内につまっている、というのが見た時の感想だ。通路で寝ているおばさん、腰おろしてトランプに興じている男たちがいるかと思えば、せまいスペースの中で立ちっ放しの人たち・・・私も旅のかっこが汚いといっても、彼らのほうが身なりがきれいとは決して言えないかっこうをしていた。このせまいスペースを往復してる私に視線が集中していた。やっぱり存在が浮いて見えていた。彼らはきのうから通路に腰かけたり、
寝てたり、立ちっ放しだったんだろうか、あすの到着まであのままなんだろうか・・・。

寝台車とのちがいに少しカルチャーショックを覚えた。

ぎゅうぎゅうづめの硬座車から必死の思いで這い出てきて、食堂車に再びやって来た。車内に2人の列車員と乗り越し希望の乗客が列車員のまわりを囲んでいた。順番を待って行き先を告げ、寝台車希望を
伝える。でも、私が少し听不懂※10なため、ちょっとの間 話がつながらず焦った。すぐに外国人だとバレる。でも、列車員のおじさんは気さくに接してくれた。どこから来たのか、きょうの晩はひまかひまならここで
过年※11をしよう・・・。結局、疲れて行かなかったが。

ま、無事に乗り越しを済ませ、硬卧车に戻る。
さぁ、晩ごはんの時間。持ってきていたカップラーメンが昼でなくなったので、盒饭※12を買うことにした。
値段は10元(約160円)。以前は5元だったと聞くから高い。おまけにあまりおいしくなかった。
食べてる間に外は暗くなり夜になっていく。ミニ旅行からの帰りはいつも外がまっくらなんだが、やっぱり今日は除夕だからか田んぼにも前にも小さな灯がともっている。ある家は年灯※13がかかってあったり、時々花火が上がって春节になることを思わせる。あすの昼すぎ成都に着く。どんな春节・どんな旅になるのかとわくわくしつつ夜9時すぎ床に就く。

<音と意味など>
※1 こんなのに脚注つける必要がないけれど・・・、食事中でしたら对不起
※2 パイヅ:札。この場合は、切符と引き換えに渡してくれる座席票。
※3 バンゴンシー:事務室。この場合は車掌室、駅長室というべきか。
※4 ヂャン:駅
※5 チューシー:旧暦の大晦日
※6 インウォーチャー:2等寝台車
※7 ツァンチャー:食堂車
※8 ルワンズゥォチャー:1等座席車両。软座(ルワンズゥォ)とは、シートが柔らか座席のこと。
※9 インズゥォチャー:2等座席車両。硬座(インズゥォ)とは、シートが木かうすいクッションの座席のこと。この車両が一番安い。
※10 ティンブドン:聞いても分からない。
※11 グゥオニィェン:年越し
※12 ホォーファン:お弁当
※13 ニィェンドン:旧正月に飾るちょうちん

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22:20:34 | 留学時代ぷれいばっく!! | コメント(0) | page top↑
1998 My 寒假 3. 各地のエピソード (1)火车里的第一天②
2007 / 02 / 27 ( Tue )
※このレポは、しーぐぅが上海へ留学してた時代に書いたものです。
後半(いや途中)から、手持ちのノートをもとに書いていく予定です。


出発してはじめの数時間は、冬のいなかの風景や、次への駅に近づくにつれ石炭の山や、
レールの両端には枯木・・・こんな風景が続いていたが、今回は内陸に向かっているせいか、
いなかの風景や山の風景が緑鮮やかになってきた。
いままでのミニ旅行(绍兴※1宁波※2・南京※3苏州※4)では味わえない風景もあった。
やっぱ列車の旅はいいなあ、と思えるひとときだ

そして、中国人たちと同じ列車の中で1泊なり2泊なり一緒に過ごすわけだから、
コミュニケーションもできてくる
先ほど、列車の乗り越しについて書いたが、列車員に「西安過ぎてからにしてくれ」と言われた後(詳しくはこちら)、一人の男性客が渡しに乗り越しについて聞いてきた。
頭の中をまっ白にさせつつもなんとか中国語で説明すると納得してくれた。
・・・でも、あとで通りすがりに你是哪个国家的人?」※5と聞かれ、あッ外国人とわかるんやと
少し気落ちしつつ「日本」※6と答えると、「啊、JAPAN」となぜか英語で国名を言って
你说得蛮好※7とにっこりしながらこう言ってくれた。

また、お昼にカップラーメンを食べようとテーブル下にあるポットに手を伸ばすと、そばに座ってる
男性が何やら言っている。听不懂※8だといいながら少しパニックになってる私のために、
お湯を入れかえに行ってくれたり(どうやら彼はポットの湯は残り少ないから、お湯を入れに行った方がいい・・・てなことを言いたかったらしい)・・・と私によくしてくれた。

そして、いつの間にかどこかで降りてしまったかわいい小朋友※9
3,4才の男の子で、恐竜のおもちゃ持って遊び回っていた。飴を差し出しても受け取ってくれなかったけど、いつの間にか私たちは一緒になって遊んでいた。小朋友の言うことを口まねしたり、
・・・なぜか発音がよくなかったらしく、何度も「不是!」※10と言われちゃった・・・
でも、"プースー"と訛りがあってかわいい・・・
、いろいろとおしゃべりした。
写真を撮り忘れたのが惜しかったけど、悠大な景色を見ながら楽しいひとときを過ごした。

いつの間にか時間は過ぎ、夜9時、消灯。
あすは西安で乗り越しするのを忘れないようにせねばと思いつつ眠りに入る

<音と意味など>
※1 シャオシン:浙江省の街。绍兴酒鲁迅出身の街として有名
※2 ニンボー:浙江省の街
※3 ナンジン:江苏省省都
※4 スゥーヂョウ:江苏省の街。世界遺産に指定された庭園が多く、「東洋のベニス」と言われる運河と庭園の街。
※5 ニーシーナーガグゥォジィアダレン?:あなたは何人ですか?
※6 リーベン
※7 ニーシュォダマンハォ:(中国語を)話すのがとてもうまいですね。「蛮(マン)」は口語で「很(ヘン)」と同じ「とても」の意。
※8 ティンブドン:聞いても分からない。反義語は听得懂(ティンダドン)
※9 シィァオポンヨゥ:子どもに対する呼びかけ
※10 ブーシー:いいえ、ちがうよ。反意語は「是(シー)」

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19:50:47 | 留学時代ぷれいばっく!! | コメント(0) | page top↑
1998 My 寒假 3. 各地のエピソード (1)火车里的第一天①
2007 / 02 / 18 ( Sun )
※このレポは、しーぐぅが上海へ留学してた時代に書いたものです。
後半(いや途中)から、手持ちのノートをもとに書いていく予定です。


前日(1月25日)、会いに来てくれた(当時付き合っていた)恋人を見送り、
出発前に2万円ほど両替して、地铁※1常熟路站※2から乗って终点站※3上海火车站※4
降りる。

私の乗る列車は390/391次直快 上海开往成都※5
下午5:02※6

駅のまわりは人であふれ、ダフ屋が「遠距離の切符と交換しないか」と
近距離切符(苏州※7行き、无锡※8行きなど)を持ってうろついている。
それもそのはず、あと2日で春节だから里帰りの人たちでいっぱいなのだ。
入口を抜けて、候车厅※9に入るとそこでも人はいっぱい。
しかも、土のう袋やでっかいスーツケースかかえてみんな列車を待っている。
私の荷物(赤いリュックに食料少々)は軽く小さく見えてしまう。

改札が始まった。でっかい荷物をかかえて人々が改札口に殺到する。
押しつぶされそうになりながら改札を済ませ、私にとって列車の旅の始まり、
人々にとっては人民大移動の始まりか

あたしの座席は硬卧※10中铺※115号27番だ。

出発したが、一つ気がかりがあった・・・。
出発前日の25日、近くの旅行社へ切符をもらいに行った。
春节前で自分個人での購入が無理だと周りの留学生に
教えてもらい、代行購入してもらったのだ。
そして、去年(1997年)国庆节
※12の休み(10月1~5日)、
青島に行ったとき硬卧上铺を取ってあまり寝られなかったことがあり中铺を頼んでおいた。その時、旅行社おばあさんがどうなるかわからんと言ってたが、行って見たらちゃんと中铺と書かれている。
おばあちゃん、ほこらしげな表情。値段も見て、行き先を見ると、西安と書いてある。
「あれ?どうして西安なの?」「哎哟
※13
アイヤッぢゃない、私は成都行きを頼んでおいたのに・・・。
なにかおばあちゃんが言ってる。でも、私が听不懂
※14てな顔してると、紙に「列車に乗ったらすぐ成都行きの切符に替えてもらえ」と書いてくれた。
真的不要緊吗?」「不要緊」※15・・・いぶかしく思いつつも、受け取るしかなかった。ダメなら西安行きに旅を変更させればいいんだし、私の旅はひとりきままな旅だから・・・。

しばらくすると、列車員が切符と引き換えに牌子※16を渡しに回って来た。
私はすかさず”我想去成都、请换一下补到成都的票※17と書いた紙を見せると、
西安過ぎてからにしてくれ、と言う。
西安に着くのは翌日の夕方5時頃。ま、この1泊めは安心することにした。

<音と意味など>
※1 ディーティエ:地下鉄
※2 チャンシュールーヂャン:常熟路駅
※3 ヂョンディェンヂャン:終着駅
※4 シャンハイフゥオチャーヂャン
※5 390/391ツーヂークワィシャンハイカイワンチョンドゥー:上海発成都行き390/391号列車。直快とは「長距離急行列車」のことで、2つ以上の鉄道局にまたがって走る急行だとか。
※6 シァウーウーディェングゥオリィァンフェンカイ:午後5時2分発車。開は「発車する」「車を運転する」という意にも使われる。
※7 スゥーヂョウ:江苏省の街。庭園や運河がきれいで「東洋のベニス」と呼ばれ、世界遺産に指定されている庭園のある街。上海から列車で1時間。
※8 ウーシー:江苏省の街。太湖という湖が有名・・・だけど、大学時代に一度行ったきりで私の中ではあまりコレという印象が薄いですが・・・。
※9 ホウチャーティン:待合室
※10 インウォー:2等寝台。1等寝台は软卧(ルワンウォー)といい、2段ベッドが2つあるコンパートメント式。硬卧はコンパートメントではなく、3段ベッドをカーテンで仕切るのみ。
※11 ヂョンプー:2等寝台のベッドで、中段。上段は上铺(シャンプー)、下段は下铺(シアプー)。上铺・中铺・下铺の順に高くなる。初めての寝台は、青島行きの列車で上铺だった。天井が低すぎて身動きがうまく取れず、寝苦しかったなぁ。
※12 グォチンジエ:中国の建国記念日。10月1日。
※13 アイヤッ:しまった、あれッという時に使う言葉
※14 ティンブドン:聞いても分からない。反義語は听得懂(ティンダドン)
※15 ヂェンダブヤオジンマ?/ブヤオジン:本当に大丈夫なの?/大丈夫。真的は「本当の」の意。
※16 パイヅ:座席票
※17 ウォーシアンチュゥチョンドゥー、チンホヮンイーシアブーダォチョンドゥーダピィァオ:私は成都へ行きたいので、成都までの乗り越し切符に替えて下さい。

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2007 / 01 / 21 ( Sun )
※このレポは、しーぐぅが上海へ留学してた時代に書いたものです。後半(いや途中)から、手持ちのノートをもとに書いていく予定です。

1月26日、上海を火车※1で出発し、車中で二泊三日過ごして、四川省成都に28日到着。
しかし、目の前にあった峨眉行きバスに飛び乗り、先に峨眉山登頂をやってしまった。
再び成都に戻ってきた次の日(29日)・・・問題はここから始まった

中国では、旧暦の正月(春节※3)が新暦の元旦※4よりもにぎやかで、春节を楽しく過ごすために店・役所などは3日間~1週間ぐらい休みになる。今年(1998年)の春节は1月28日~。
銀行もこの例に漏れず、お休み。旅行に出る前にこのことを考えて、换钱※5しておくつもりだったが、ホテルでも両替 换钱できることだし・・・と思い直して、あまり両替 换钱しておかなかった。
峨眉山のふもとまでのバス代(65元)・宿代(1泊100元)・車チャーター費(ひとり42元)・入山料(40元)・飯代等雑費(約250元)・峨眉-成都間のバス代(15元)・タクシー代(11.5元)・成都での宿代(150元)・・・とこの3日間結構使った。
一方、旅行前に両替 换钱したのが2万円(約1,280元)。これから使った額を引いてその残り・・・
この時300元ぐらいしか残ってないと思った(のちにこれは間違いだと知る)
2つホテルをあたったが、両方ともT/Cは両替できないと言われ、大いに焦った
焦りつつも成都の地図も買いたくなって成都站に来ていた。切符買ってこのまま上海に戻ろか、な・・・と考えてると目の前に重庆行きバスが成都-重庆間高速道路が開通しており、
所要約4~5時間(列車なら約10時間)とのこと。んぢゃ、重庆で考えるかと重庆へ。

到着後、旅行社の客引きに遭い、コースが一転。
でも、三国志の古跡は見たいしと思い荊沙行って、武汉から飛行機で上海へ戻ってきた。
武汉から再び成都戻って大足もまわろうかと考え直したが、荊沙で体調を崩し、
あきらめる。荊沙・武汉では死んでいた)


本当は、各地を2泊ぐらいして移動しようと思ってたのに・・・。各都市のエピソードは次回へ続く。

<音と意味など>
※1 フゥォチャー:列車
※2 フェイジー:飛行機
※3 チュンジエ
※4 ユアンダン
※5 ホワンチエン:両替

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「My 寒假 1. はじめに~当初予定してたコースについて~

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テーマ:旅行記 - ジャンル:旅行

22:56:39 | 留学時代ぷれいばっく!! | コメント(0) | page top↑
1998 My 寒假 1. はじめに~当初予定してたコースについて~
2006 / 12 / 24 ( Sun )
※このレポは、しーぐぅが上海へ留学してた時代に書いたものです。
後半(いや多分すぐ途中)から、手持ちのノートをもとに書いていく予定です。


1998年1月17日から2月13日まで学校は冬休みで授業がない
・・・さぁ、この3週間をどうしよう
初めの1週間は両親・(当時付き合っていた)彼氏に相次いで来てもらうから上海にいるとして、
残りの2週間は・・・


日本に帰国して里帰りする者、南方へ行く者、上海に都合上居残る者、外国へ出る者・・・と
冬休みの使い方は人それぞれまさに各种各样※1だ。私も、今は寒いし、暖かい南方に行こうかとも考えたが、南方のひとり旅は危ないと聞いていたし、人と同じようなコースたどるのもな・・・
ほんとにどないしょ?


そこでひらめいたのが、私がなぜ中国に来たのかという疑問に対する答えだ。

では、どうして中国に来たのか??

もともと三国志が好きで、「三国時代(魏・・蜀)」という戦国時代群雄割拠の中、
たくさんの武将が中国各地から名乗りを挙げて戦い、
敗れては消えていく。
日本にもこんな時代があったけど、やっぱりスケールが違う。
だから、三国志のふるさとに行こう。物語読んでて、やっぱり刘备玄关羽云长张飞※2
诸葛亮孔明赵云子龙たちが支えた国(蜀)に肩入れしてたから、”天府の国”蜀の都 成都※3
へ行こう。
ついでに本場の麻婆豆腐・担担面を食べて、近くの聖なる山”峨眉山”にも登って・・・。

2006年の三峡ダム完成により、沈みゆく三国志の名勝古跡を見ねば・・・。
あっそうだ、四川省メインだから大足※4の石仏も見ようかな・・・。
と、題して「三国志蜀の都を巡ってマーボー豆腐・担担面を
食べて、雄大な长江三峡を下る旅」
を1月26日から実施することにした。

(当時付き合っていた)彼氏に25日淋しい思いで見送って、翌26日出発ところが・・・。

<音と意味など>
※1 グーヂョングーヤン:いろいろ
※2 今は张飞が正しいようで・・・。三国志は講談から入っていったので、講談の呼び方が正しいものだと思ってました。
※3 チョンドゥー:現・四川省省都
※4 ダーズー:敦煌・洛阳と並んで石仏がある街

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09:00:10 | 留学時代ぷれいばっく!! | コメント(0) | page top↑
国语还是粤语??
2005 / 11 / 26 ( Sat )
授業が終わるとしょっちゅう散歩していた

で、その途中によく買ってたのが、音乐磁带(インユエヅーダイ:音楽カセットテープ)

1本だいたい10元(150円前後)で買えるんだもん
CDは買わなかったなぁ。CDは20~150元と値段に開きがあったし、
何よりCDプレーヤーを持っていかなかった(現地でカセットデッキしか購入しなかったし

でも、これが結構クセモノなのだ。
カセットに限らず、CDでも。

それは・・・

国语(グォユー)なのか

粤语(ユェユー)なのか??

国语とは中国語の標準語普通话(プートンホヮ)」のこと。香港や台湾ではこう呼ぶ。
一方、粤语とは広東語(广东话:グヮンドンホヮ、グォンドンワッ)のこと。

港台音乐(ガンタイインユエ:香港・台湾歌手の音楽)にはまりだしたころ、手当たり次第に輸入版CDを買っていた。

今でこそ、店頭にどちらで歌っているか表記してくれているが、その頃(8年以上前)はまだまだ
マイナーな存在。コーナーも狭かった。その中から選んで買っていた。

で、家帰って聴くと「アレっ国语ぢゃないようなサウンド・・・。もしや・・・」というように、
粤语アルバムを買ってしまったことに気付くのだった。

国语粤语の歌が混じったアルバムにはタイトルの横に(国)とか(粤)とか、親切に書いてくれている。
でも、自分が選んでたのはだいたいアルバムの歌がオール国语かオール粤语か、だった。

・・・話を留学時代に戻します。

とある散歩の時。徐家汇(シュージィァーホイ:上海南方の繁華街)まで散歩

百貨店のカセット・CD売ってる店で大好きなフェイ・ウォン(王菲)の新しいアルバムを発見。

さぁ買うぞという時に、このコトをふと思い出した。

で、店員さんに聞いてみる。
もちろん、まだまだ下手な中国語で、だ。

しーぐぅ (王菲のカセットを指して):

请问、这是用普通话还是

用广东话的??」
(チンウェン、ヂャーシーヨンプートンホヮハイシーヨングヮンドンホヮダ
これは標準語使ってるの、それとも広東語使ってるの

售货员 (ショウホゥユェン:百貨店の店員):

「○△□☆※○△□☆※○△□☆

※○△□☆※」

(しーぐぅにはこんな感じに思えた

当時は話すのも下手な上に、相手が何を言ってるのかも分からないましてや、上海。
普通話よりも地元方言の上海語が飛び交っているところだから、普通話を話してる店員も訛ってます。

とにかく、何を言っているのか分からない

再び繰り返して聞いてみる。

请问、这是用普通话还是

用广东话的??」

そしたら、その店員、カセット持って他の客に聞く。

售货员

「ねぇ、これ聴いたことある?」

は文字で書いたら何と書くか当時は分からなかったが、でも何を訪ねているかは分かった。

呆気にとられた。

日本だったら、ほかの店員に聞いたり調べたりするんだけど、まさか客に聞くなんて・・・。

何でもアリな国だと、当時思った。

聞かれた客もまだそのアルバムは聴いたことがなかったらしく、分からないとのお答え。

結局、開封して再生して聴くことになった。
聴いたら、国语だから、店員は「普通话だね」と言った。

で、買ったカセットはその開封済みのである

ことは言うまでもありません。


がそのカセット。


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17:14:35 | 留学時代ぷれいばっく!! | コメント(2) | page top↑
マイアルバムを作る!!
2005 / 11 / 25 ( Fri )
・・・タイトル見て、「歌手デビューしたの」て思た方、スンマセン(おらんか・・・)

これは留学時代のお話です


(赤と青のTシャツに黄色のショートパンツでガキんちょスタイル。
アルバムの表紙になった写真デス)

この他にもあります。
見てってや各写真に自分で解説(突っ込み?)も入れてます。
続きを読む
23:38:07 | 留学時代ぷれいばっく!! | コメント(7) | page top↑
放学后(ファンシュエホゥ:放課後)
2005 / 11 / 06 ( Sun )
内向的な性格で、留学時代はそんなに友達も作れなかったことは触れた。

独生子女(ドゥーションヅーニュゥ:一人っ子)だから、ひとりが気楽だというせいもあるかな。

放課後は同屋(トンウー:ルームメイト)がいれば、一緒にどこか行ったりしていたが、
同屋はクラスが違う(上級クラス)なので、放課後はたいていひとりで行動。
同学(トンシュエ:同級生)とはたまぁーに一緒に散歩したりしてたが、やはり単独行動ばかりしてた。

散歩はよくしてた
バスに乗らずに1時間以上歩くのはザラだった。

学校から外滩(ワイタン:上海黄浦江沿いのバンド)まで歩いたり、徐家汇(シュージィァーホイ:上海南方の繁華街)まで歩いたり、四川北路(スゥーチョヮンベイルー:上海のすごい北。もうちょっと行けばかつての日本人街や魯迅公园というでかめの公園に行ける)まで歩いたり。
一番遠くまで歩いたのは、学校~四川北路だったかな。90分くらい

帰りは疲れてバスに乗ったけど、街の様子・道行く人々の様子を見てると楽しい。
歩く途中で食べるおやつがおいしかった。
店の人と少しだけでも会話ができる。

でもこれ、現地の人にはめちゃめちゃびっくりされた。そんなことは普通しないらしい・・・。
歩いてきたよ~と話すと、「何でバスや地下鉄乗らないの」と怪訝そうに聞かれる

まぁ、そうだよねぇ。
バスや地下鉄のほうが楽やし(^^;

若かったっちゅうことでしょう。

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21:10:02 | 留学時代ぷれいばっく!! | コメント(0) | page top↑
互相学习(フーシャンシュエシー)
2005 / 11 / 04 ( Fri )
授業や、机上の学習だけでは語学は身につくなんてことはないだろう。

留学は海外生活。やはり、話して失敗してこそ身につくものだ。

こういう時に、内向的な性格は不利

半年くらい経って、周りの留学生がどんどん上手になっているのを見て焦りを感じ、
帰りたくなったこともある
余程気に病んでたのか、寝言が中国語だったこともあるらしい・・・(同屋談)

みんな、日本語を勉強してる人や同じ学校の生徒相手に、話す機会を設けていたのだ。

自分が中国語を、相手が日本語を話して、互いに外国語マスターに向けて勉強することを
互相学习(フーシャンシュエシー)という。
その相手を、当時単に「互相(フーシャン)」と呼んでいた。
ただ、この互相学习は相手の「日本語を話す」熱意が強く、自分の「中国語を話したい」という熱意が弱ければ一方的に日本語を話させられるだけに終わってしまうことがあるので、
それぞれの言葉を時間を決めて話すように工夫しないと負けてしまう。

このままぢゃぁ、アカンと私は中国語を、相手は日本語を話してお互いにレベルを
高め合えるよう互相の相手を募集した。

上海のとあるホテルの輸入食材を多く取り扱うスーパーに、イベント募集や家庭教師募集などを
貼れる掲示板が設けてあったので、「お互いに外国語を話して、友好を深めましょう」てな内容で
募集した。

・・・中には当然、冷やかしもあった。
何度も電話かかってきて、アーイーに「ディェンホヮ」と何度も呼ばれ、出たら何を言いたいのか分からんムカつく場合もあった

数人と互相したが、自分の内向的な性格ゆえ、話が盛り上がらなくて自然消滅的に会わなくなった
ケースが多々あった。

その中で、一番長く付き合えた友達がいる。
その代わり、その相手は大学時代に日本語を勉強していたので、互相と言っても日本語を話す
機会が多かった・・・
でも、やさしいイイ友達。当時、某D銀行上海支店で働いていたので、食べに行っても支払って
もらうことが多かったなぁ・・・。いろいろと感謝してます(金銭面だけではないけど・・・)

その後、私が留学中に、大阪の某私大へ留学し、会ったのは帰国してから。
帰国後も、関西へ行くことがあったら時折会ってた。写真好きな友達

突然の結婚にビックリして、大阪行って祝ってあげたりもした・・・でも、現在シングル・・・なるの
早かった気がするが

そして、今も日本のどこかにいる。たまに、中国語で携帯にメールが入る
現在、日本語アレルギーらしい。
日本人と香港人のストーカーに追い掛け回されたとかで、住所は明かせないとか。

元気かなぁ
中国へ旅行したら、メール入れようっと。

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20:00:56 | 留学時代ぷれいばっく!! | コメント(0) | page top↑
あぁ、カセットの山
2005 / 10 / 31 ( Mon )
(これは、留学時代のエピソードではないけれど、留学時代に
買ったものについてなので、このカテゴリに加えます。)


が英語やりたいから、カセットないかと私に聞いてきた。

どうやら、私のカセットの中身を疑っているらしい

で、ポータブルカセットプレーヤーも申し込んだし(MP3で聴くのが主流になった現在、ポータブルカセットプレーヤーはごく少数だ)、代金支払いに行く前にカセットを探して欲しい・・・としつこくせがむので、晩ご飯後探した。

ターゲットは私のカセットが入ったダンボール箱の中。

・・・この中にはカセットがいっぱい
現地で買った中国語の教材カセットや音楽カセット大半が音楽カセットだ。

今では現地の教材もCDなのかもしれないが、7-8年前の教材はカセットだった。
しかもカセットデッキしか買わなかったので、音楽も専ら音楽カセットを買っていた。
だって、安い1本10元から買えるし。

で、毎日どこかでいいなぁと思ったら買っちゃう。
それが、現在ダンボール箱の中で山になっていたものだ。

懐かしい
今聴いてもよさそうなのがいっぱい。

でも、カセットは聴けば聴くほどテープが擦り切れやすくなってしまう。

CDに焼きたいけど、自分にはそんな技術ないし・・・。
何とかできないかなぁ。

その前に、カセット片付けなきゃ。

片付けたくないから、こうやってブログを書いている私(^^;

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20:21:10 | 留学時代ぷれいばっく!! | コメント(2) | page top↑
留学中の初めての街-青島(チンタオ)-
2005 / 10 / 25 ( Tue )
青島 ※1は私が留学時代に初めて行った街
国庆节(中国の建国記念日)から3日間の休みに、同屋※2火车※3で行った

当時、留学してまだ2ヶ月も経ってなかった頃。流暢にはすんごく程遠かった
なので、切符の手配は、1年以上中国にいてペラペラと発音もきれいな同屋にお任せした

硬卧※4上铺※5が、私の最初の火车体験
やはり快適な下のベッドから売れていくらしい。国庆节など休日はもっと早く売り切れる

中国人民大移動の時期は、年に3回。春节※6、5月の連休および国庆节
火车站※7は、溢れんばかりの人…その人の多さに圧倒されたのを覚えている

入口も人、人、人ずた袋を持った人をよく見た。
改札して、車両番号確認して、入って、ベッドを探す
硬卧は3段ベッド。日本の寝台列車は2段。
寝台列車なんて、小学校1年の時に田舎へ行って以来。

はしごを上って最上段へ。
天井ひっくーい
荷解きがしづらい。何度も頭をゴチ~ンと打った。イタイ・・・
それは隣の段の同屋も同じだった。

最上段で不便そうにしてるあたしたちを見かねた、下の段の家族がベッドに座らせてくれた。
同屋の通訳を介して下手っぴぃな中国語で答えたり、話したりした。
当時の語学力としてはまだまだだったけど、楽しかった
・・・青島の海で偶然この家族と再び出会ったにはビックリ

上海から青島まで列車で10時間・・・だったと思う。
(この区間を列車で旅したことある方、覚えていたら教えてください。8年前のことを回想してますので、記憶があいまいなんです)
低い天井は頭を打つだけでなく、寝苦しかった

到着して、宿探し。輪タクおっちゃんの客引きで宿へ。
しかし、1泊めの部屋はトイレ・シャワーがきれいでなかった。
シャワーは水の出が悪い滝のよう
2泊めにましなとこに部屋換えしてもらったけど、1泊めの印象が強くて覚えてない

青島は、昔ドイツの租借地だった街至るところ欧風な建物。

そして、青島といえば・・・やっぱし、青島ビール

散策中に見かけた鲜啤酒※8の樽や、鲜啤酒を入れたビニール袋()を持った人がレストランに
入っていくのを見て、同屋と「飲みたいね」とゴクリ

その日の晩、ホテルの近所に樽の鲜啤酒を発見。
・・・でも、ビニール袋に詰めてもらうのは・・・ちとつらい。
持参してたミネラルウォーターペットボトルを空にして入れてもらった。
麦の味が強くてすごくおいしかった

また青島は、海水浴場としても有名
10月だったのに、海辺は人がいっぱい。…まぁ、国庆节だから当たり前か。
そして、海鮮ものも豊富

小さなレストランで、店頭に置かれた魚介類を選び、好きな調理法で作ってもらった。
あの時は貝を選んで、野菜と一緒に炒めてもらったなぁ(覚えている海鮮ものはそれだけ)。

繁華街のイスラム料理店でご飯食べた。炒めたご飯の上に、羊肉のデッカイ塊がのっかったもの。
同屋が頼んでくれたので、料理の名前は覚えてないけど、ボリュームあって変わった味付けでおいしかった
帰り際、回族※9の子どもが「谢谢※10」と言った姿が真可爱※11

帰りは国庆节のため、上海行きの切符は売り切れ。
帰りは飞机※12

時間に余裕が出来たので、青島近郊の崂山※13へ。
現地ツアーに参加した。

山は青空がほんと青く、山歩きに最適な天気
空の青に、山の石の白さがよく映える。

分からない個所は同屋に助けてもらい、少しでも中国語を話したり出来たので楽しい旅だった。

<音と意味>
※1 チンタオ:山東半島南西に位置する観光地。
※2 トンウー:ルームメイト
※3 フゥォチャー:列車。
※4 インウォー:2等寝台。これに対して1等寝台は「软卧(ルァンウォー)」。字で見てお分かりの通り、软卧はベッドが柔らかく、硬卧はベッドが硬い。値段も软卧が上。でも、软卧はベッドが4つのコンパートメントタイプで内側から鍵がかけられるため、女性のひとり旅では治安の面ですごく危険。留学中、これで旅した子が車内で痴漢に遭った。硬卧は2人で行ったほうが無難だと思います。
※5 シャンプー:2等寝台の最上段。2段めは「中铺(ジョンプー)」、3段めが「下铺(シィアプー)」。切符に書いてあった言葉。
※6 チュンジェ:旧暦1月1日、旧正月のこと。新暦では1-2月の間。日本以外の中国の周辺では、新暦正月よりも旧正月で盛大に新年を祝う。爆竹が代表例。今では、大都市では旧正月に爆竹禁止だが、やはりおめでたいしなかなか取り締まれない模様。
※7 フゥォチャーヂャン:列車の駅。
※8 シェンピージィォウ:生ビール。
※9 フゥィズー:中国に住むイスラム民族。「回」はイスラムのこと。イスラム教のことを回教ともいいますね。
※10 シィェシィェ:ありがとう。
※11 ジェンクゥーアイ:本当にカワイイ。「真」は「本当に」の意。「可爱」は日本語と意味が共通。
※12 フェイジー:飛行機。←を略しただけ(^^;
※13 ラオシャン:青島の観光名所のひとつ。

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22:24:44 | 留学時代ぷれいばっく!! | コメント(5) | page top↑
迪斯科(disike)
2005 / 10 / 18 ( Tue )
中国語の分かる方は、もうこのタイトルの意味はお分かりですね。

そう、答えは…。

ディスコ!!です。

はぁ、何と死後をタイトルに使うしーぐぅのナンセンスさ・・・

でも、留学時代によく躍りに行った場所がディスコだったんだも~ん、しゃぁないやんか・・・
(自己フォロー)

留学時代の遊び。同屋から教えてもらった。

中国人オンリーのクラブと、欧米人がよく集まるクラブの2種類を経験した。

・・・中国人オンリーのクラブは何だか異様な雰囲気。ノリが違う。欧米人がよく集まるクラブのほうが、カッコよくて馴染みやすかった
アフリカ人留学生ともよく行ったのが後者。

ただ、ツンとすました欧米人が多かった。外国(中国)にいるからだったみたいだけど、
このせいであまり欧米(特にアメリカ)には興味がなくなったかなぁ。

よく夜中に寮に戻ってたし、お掃除アーイーには煙たがられた(^^;

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20:57:42 | 留学時代ぷれいばっく!! | コメント(1) | page top↑
アフリカな人たち
2005 / 10 / 18 ( Tue )
私は元来、あまり外向的な性格ではなく、友達も非常に少ない。留学時代もそうだった。

でも、留学時代だけ「楽しい友達」と呼べる人たちがいた・・・アフリカ人留学生たちだ。
彼らは赤道ギニアから来た黒人たち。

きっかけは同屋(トンウー:ルームメイト)の紹介。

同屋:「Yちゃん(私しーぐぅのこと)、アフリカ人の友達がいるんだけど、遊びに行かない??」

しーぐぅ:「えー、アフリカ人・・・」
と生返事な反応。
でも、とりあえず会ってみることに。

彼らは上海の名門校の一つ复旦大学(フーダンダーシュェ)に留学していた。
私の留学先より30分くらいバスに乗って行った上海の北にある学校だ。

おもしろくて楽しい人たち。ほんと、楽しかった

ただ、中国人は黒人が嫌いらしく、部屋に呼ぶと、お掃除アーイーたちはいやぁな顔してたなぁ
おもしろくていい人たちだったけど、すぐ告白するクセはやめてねって感じでかわしながら遊んでた。

お金持ちな彼ら。今は国に戻って、政府の高官の道へ進んでいるんだろうな。

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20:47:39 | 留学時代ぷれいばっく!! | コメント(0) | page top↑
学習班の老师(ラオシー)
2005 / 09 / 20 ( Tue )
学校に着いてから、数日後

入学式とクラス分けテスト

留学先の校長先生のスピーチ(すでに留学している方の通訳付)と、入学に当たっての
注意事項の紙などが配られる。

クラス分けテスト。

どんな内容やったかな
でも、学校でどう習いたいかという質問があったような気がする。

大学の第2外国語で中国語を選択してたけど、あまり発音に自身がなかったから、発音をきれいにしたい、みたいな中国語を書いた覚えがある

で、入ったクラスは初歩的なことから始めるクラス。

短大卒業した女の子から、大学を休学してきた学生、中年の女性の方、社会人を一旦やめてやってきた人、と多彩なメンバー

先生は3人。
ひとりはきれいなおばあさん先生…若作りしてるなぁと思ったら、この学校の卒業生で、
演技を勉強してたんだろうと思うくらいきれいにしてる。ココロは女優
後のふたりは学校の学生。ひとりはぽっちゃりとした人で、りんごほっぺだから留学生の中では
「りんごちゃん」と呼ばれてて、話し方が可愛らしい
もうひとりは昔の陳美鈴(アグネス・チャン)似。だけど、最初の授業で説明を英語でしてたので、
同じクラスの中から「中国語で授業して」なんて少し不人気だったかな。

さすが、俳優養成の学校だけあって、先生方の発音は標準語的。

標準語は北方方言を軸にした言葉なので、北京以北以外はみなさん訛っておられるのだ。
上海もその例外ではない。街中行くと上海語があふれている。
同じ中国人でも出身が違えば通じないというんだから、私たち外国人には分からないものだ。

・・・おばあさん先生は当時、新婚ほやほや(だんなさんと死別後、新しいだんなさまと結婚)のため、よく授業が休みになってた。
「どこかへ旅行へ行ってらっしゃいそうすれば言葉を話すから」・・・ったって、アンタ、
初心者なのにどうやって切符買うのよと突っ込みたくなったなぁ。

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23:59:22 | 留学時代ぷれいばっく!! | コメント(1) | page top↑
日本からの電話
2005 / 08 / 13 ( Sat )
学校の入学手続きも終わり、寮に戻って入寮手続きも終わり、生活の場になるお部屋到着

扉に張り紙が・・・。

「同室の人が帰国中。ベッド付近はカーペット敷いてるので靴を脱いでください」

郷に入れば郷に従えなので、ベッドに向かう時は靴を脱ぐ。

先に留学してる隣の部屋の人に聞くと、他校で1年留学していて発音がきれいな方だとか。

気の合う人だといいなと思いつつ部屋で荷解き。

翌日、ピ~ン
インターフォンが鳴った。

出たら、入学手続きの事務室の女性の人が来て、

「ディエンホワ、ディエンホワ!!」と、まくしたてる。

一緒に事務室へ
日本からの国際電話だった

かけてきたのは・・・ウチのお母ん

母:「あんた、連絡もくれんと何してんの?」

しーぐぅ:「あ”、ごめん。忘れてた」

母:「お母さん、心配しててんで」

しーぐぅ:「…」


とまぁ、こんな会話して部屋へ戻った。
バタバタしてたし、電話するというのをすっかり頭から抜け出ていたらしい。

帰国後、この話題になって、母は当時を振り返ってこう言う。
「もうあの時は必死で、どうやって国際電話かけたか。もう今ぢゃ国際電話のかけ方も分からへん」

火事場の馬鹿力だったのかな。。。

母に限らず、親からはよく電話がかかってきた。
ひとり旅行中もかかってきてたらしいから、最終的には親が心配してこの留学1年で終わりになってしまった。

親を心配させたらアカンのかも。

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10:00:47 | 留学時代ぷれいばっく!! | コメント(1) | page top↑
上海上陸からがっこう到着まで
2005 / 08 / 09 ( Tue )
はてさて。

船から下りて、中国語の流暢な方にタクシーをつかまえていただき、メーターがきちんと動くか
ボラれないかも聞いていただき、外滩(ワイタン)からタクシーで一路、学校へ

ドキドキしながら、街の様子見てたかなぁ

30分ぐらいして、病院华山医院:フゥワシャンイーユエン)の前を通り過ぎるころ、タクシーの
運転手さんが「もうすぐやで」と言ったような気がした。

それから、学校へ到着

これから、1年お世話になる上海戏剧学院(シャンハイシージューシュェユエン)に到着。
入り口で、門番に入学許可証を見せて、門を開けてもらった。

私の荷物はすごくでかい車輪付きトランク。重いトランクを寮まで運んでくれた。
ボラれることもなかったし、余った未開封のお菓子を運転手さんにあげた。

荷物を置いてから、手続き
女性の人が、事務所にいて英語で説明。・・・だったかな。

学校の印象は・・・到着が夏休みで、学生もほとんどいなくてがらんとした感じ。
公民館って感じの校舎が多かったかな。

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19:41:40 | 留学時代ぷれいばっく!! | コメント(4) | page top↑
船で行く!!
2005 / 07 / 12 ( Tue )
普通、海外へは飛行機で行くのが主流。

東京-上海間は飛行機で片道3時間半(関西からだと3時間)だもんね。
でも、しーぐぅは大阪港から上海へ船で

2泊3日!!

25歳まで学割がきくので、25000円が18000円だったご飯込みです。

なんで船で行ったのか

当時、東京に引っ越したばかりで友人が少なかったため関西の友人に見送ってもらいたかったから。

出発が夏休みだったので、学生が多かった。

言葉ができなくても、ひとり旅する学生がたくさん。

私ももちろん言葉ができないうちのひとりだったけど・・・。

一泊目はどうもなかったけど、二泊目にすごい揺れが来て気持ち悪かった
でも、二泊だけ一緒でも不思議と仲良くなれるもので、学生の旅行先とか聞いてて楽しさが
伝わってきた。

二泊して、上海の外滩(ワイタン)へ到着。

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22:43:34 | 留学時代ぷれいばっく!! | コメント(1) | page top↑
日本の中の中国~驻日本国中国大使馆~
2005 / 06 / 29 ( Wed )
国立病院で健康診断書を発行してもらい、留学先の入学通知書など必要書類を揃えて、
次は留学ビザ(Xビザ)の申請。
ホントは旅行代理店に手数料を払えば代行で取得できるんだけど、卒業したてでお金を省けるところは省きたかったし、自分で申請したかった

しーぐぅは、郊外に住んでいるといえども一応東京に住んでいるので、
元麻布にある中国大使馆领事部

受付時間は平日の9-12時。申請もビザの受け取りもこの3時間のみ!!
短いぞ

郊外に住んでいるし、早起きが苦手なので大変だった

大使館なんて、こんな時ぐらいしか行く機会がないため、あん時ゃ両親もついて来たっけ・・・半分心配だったからという気がするが。

平日でも午前の3時間しかやってないから、人でごったがえしてた。

まさに日本の中の中国!!

街中でたまぁに中国語を聞くことがあってもどこかしこから中国語が聞こえる場所は
日本ではここだけではなかろうかと、あの時思った。
結構圧倒された。

そして、日本人がいようと少数なのか話し掛けられる言語は中国語

私が申請に並んでいたとき、父は中国語で話し掛けられたらしい。ぽかんとしていたら、訛りのある
日本語で「ニホンジン?」と聞かれ、父がハイと頷くと、OKとその場からその中国人は離れていったとか。

でも、日本でも中国でも共通してるかなとあの時感じたのは役人てやはり無愛想。
サービスなし

今でこそサービスが徐々に浸透してきたけど、無愛想だった。
日本にいるんだから日本語ももちっと上手かなと思ったのにカタコトの日本語。

中国ではカンタンに外交官になれるんか?と首をかしげたくなった。

日本だったら、難関の外交官試験(キャリアと専門職の2種。現在では国家公務員国際職のみ)通って、外国へ留学して語学も身に付けて赴任らしいんだけど・・・。

お国違うとキャリアも違うのか・・・

まぁ、ボールペン持っていくの忘れた私も私だったが、父にボールペンを借りたのはいうまでもありません。
・・・何とか申請書にも記入して、必要書類と一緒に提出して。

1週間後ぐらいだったかな、再び大使館行ってもらったビザはパスポートにハンコで押してあった。

今はどの種類のビザもシールを貼られるんだけど、アナログぽくて味がある。

※お断り:当時大使馆领事部で感じたことを書いています。
批判してませんので、よろしくお願いいたします。


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21:03:24 | 留学時代ぷれいばっく!! | コメント(1) | page top↑
病院の健康診断
2005 / 06 / 27 ( Mon )
今でこそ、中国旅行15日間までだったかな査証(ビザ)が要らなくなった中国ですが、
留学や就業にはビザが必要です。
しーぐぅの場合は留学用のXビザが必要でした。

で、ビザ取得には国公立病院か保健所での健康診断書がないと、発行してもらえません。

当時、しーぐぅは大阪に一人暮らししてたので(両親が東京へ転勤のため卒業まで関西足止め)
東京へ引っ越してからの病院探しが一苦労

だったら、近くの保健所でやってもらえばよかったという方もおられるかもしれません。
しかし、留学先によっては保健所の健康診断書は受け付けてもらえないんです。
ビザ取得のためでもありますが、最終的には居留証(グリーンカード)発行に提出するため、ここではねられると下手すると中国の医療機関で健康診断やり直しがあったりもします。

新宿のとある国立病院で健康診断受けたけど、どうやって探したのか自分でもよく覚えていません

先生に留学のため健康診断書が必要というと、先生のほうでもビザ取得用のフォームを取り寄せてくださって、東京へ引っ越したばかりのしーぐぅには助かりました。

20代って余程のことがない限り、大型病院でお世話になることがないから珍しいやら、大きすぎて道に迷うやら
何とかかんとか診断をしてもらったしーぐぅでした。

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20:35:18 | 留学時代ぷれいばっく!! | コメント(5) | page top↑
留学先の選び方
2005 / 06 / 24 ( Fri )
大学時代の私は、自分で何をしたいかも分からず、卒業後留学することにしました。

留学を決めた理由は、ある人の一言。

所属していたゼミ(国際法)の先輩で、大学院へ飛び級して外交官になられた方に影響を受けて
勉強をしていたのですが、自分には勉強は向かなかったのか途中で断念してしまったんです。

外国で働きたい、中国に行きたい・・・と単純に思っていたんですね。

そんな時、その人が「中国行きたいんやったら、留学したらええやん」
(そのせいでのちのち別れる遠因になったかな)

・・・まぁ、確かにそうですよね。
それで単純に学校探しから。
本屋でアジア留学情報の本を買い、片っ端から情報を読んで自分でこれと思うところをピックアップ。

選んだポイントは・・・
留学生の総数が少ない学校
日本人の占める割合が低い学校

あまり大規模なところは嫌だったんです。そして、日本人ばかりだと固まってしまいそうだったし。

で、北は吉林省から、南は広東省、西は四川省まで。

毎日エアメールがわんさかきました。
中には2回も熱心に案内を送ってくれた学校もありました。

でも、最終的には都会な上海に決めました。

理由は、いくら中国が好きだからといっていきなり日本とかけ
はなれた環境だとホームシックにかかるんぢゃないかと思ったから。

留学先は上海戏剧学院。シャンハイシージューシュエユエン、上海語読みではザンヘーシジョウユ。

芸能人や映画監督、舞台俳優を養成する学校なので、中国語の発音にもいい先生がいるだろうと
思ったのが大きな理由。
でも、結果的には日本人率が高かったけど。

留学までいろいろとありました。

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20:56:36 | 留学時代ぷれいばっく!! | コメント(0) | page top↑
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