昨日は何の日?1908年12月2日、ラストエンペラー・溥儀即位
2007 / 12 / 03 ( Mon ) サーチナ・中国情報局で毎日掲載している【今日は何の日】。
歴史上の人物から芸能人の誕生日や亡くなった日、その日に起こった事件などを取り上げている。 で、 (アイシンジュエルォ・プーイー、あいしんかくら・ふぎ、以下 溥儀)が「宣統帝」として即位。 前回書いた西太后の死去と同じく、99年前の出来事だ。 【今日は何の日】1908年:宣統帝・溥儀が即位 http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2007&d=1202&f=column_1202_001.shtml (12月2日のサーチナ・中国情報局より) 溥儀は第11代皇帝・光緒帝の弟である醇親王の子として、1906年北京で生まれた。 光緒帝とは、西太后からの傀儡から脱却し、自ら改革をしようと試みるも、改革が性急過ぎて失敗 (戊戌の政変)した皇帝。 光緒帝に世継ぎがいなかったため、西太后の意向で当時3歳の溥儀に白羽の矢が当たった。もし、彼が女の子として生まれていたら大変な目に遭わずに済んだだろうに・・・。そして、弟の溥傑(ふけつ、プージィェ)も。 即位後は父の醇親王が摂政となり、溥儀は紫禁城(現・故宮博物院)で暮らすが、1911年の辛亥革命、翌1912年に中華民国が成立すると、袁世凱によって退位。張勲による復辟により皇帝に復位するも、10日あまりで再び退位。袁世凱と交わした優待条件によって紫禁城に住み続け大清皇帝を名乗ることを許されつつも1924年の奉直戦争によるクーデターにより紫禁城より退去させられる。 この時、溥儀18歳。分別のつく年頃だ。周りに翻弄されて、荒んでそう。 その後、満洲国の傀儡となり、第二次世界大戦終戦後は旧ソ連の捕虜、戦犯としてハルビン・撫順の 戦犯管理所に収容される。特赦を受け釈放後は、一市民として暮らした。 女性関係では紫禁城滞在時(退位後)に正妻の婉容、側室の文繍と結婚。 満洲国時代に2人側室(譚玉齢・李玉琴)を迎えている。 溥儀に関する本を見ると、以上のいずれの女性もあまり幸せとはいえない。 99年前のこの日、幼い溥儀は想像もしなかっただろう、こんな大変な人生。 -関連記事- 今日は何の日?1908年11月15日、西太后死去 60年以後、最後的皇后好不容易被埋葬在丈夫的墳墓的傍辺 2003/4/26-瀋陽・丹東・撫順・鞍山編 撫順戦犯管理所- -フォトアルバム- 瀋陽・丹東・撫順・鞍山〜完全自己安排旅游〜 ※ランキング参加中!!清きクリックお願いいたしますm(_ _)m ![]() |
健康診断受診
2007 / 12 / 03 ( Mon ) (携帯から投稿)
今日は午後出社。午前中は健康診断受けてきた。 朝食抜きだったから、お腹ペコペコ。モスで済ませるワタクシ… 毎度、採血は緊張しちゃう。今回は、終わったと思って自分の腕見たら、針射しっ放し。見なきゃよかった。 ま、無事終わったし、いいや。 雨の中、午後から仕事行くのが面倒(汗)。 |
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