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1995.1.17 A.M. 5:46…あれから11年(1)
2006 / 01 / 17 ( Tue )
1995年1月17日、午前5時46分。

それまで睡眠中だった私。
私だけでなく、大半はまだお休みの時間か、早い人は出勤の準備・朝ご飯の準備なんかをしていただろう時間帯だ。
父は出勤準備でそろそろ起きようとしていた。母は私と同様、寝ていた。

それが…

ドン!!ガタガタガタ!!

こんな大揺れで起こされた。目覚めたばかりの時は半分朦朧と、しかしまた

ドン!!!!ガタガタガタ!!!!!!

縦揺れ・横揺れ…こんなのが続くと恐怖心が湧き上がる。

「怖いよ~。わぁぁぁぁぁ~~~~」
怖い!恐ろしい!!

慌てて、家族揃ってそれぞれの部屋を出て、階下の居間のテーブルの下に潜り込み、ラジオで情報を聴いた。

しばらくしてテレビをつけると…

神戸市長田区の火事と、西宮(にしのみや)での高速道路落下

信じられないような光景が飛び込んできた。
街はどーなっているんだ!?!?

一般家庭の電話は回線がシャットアウト。外の公衆電話も人が列をなしていた。

テレビで様子を見るしかなかった。
火事や高速道路落下シーン以外にも、折れ曲がったビル、倒壊した予備校のビル、土砂で遮断された鉄道線路…目を覆いたくなるような光景ばかりが目を射る。

その日、一日揺れっぱなし。
揺れて怖い、テレビで流れる光景に信じられない見たくない、複雑な気持ちで1月17日は終わった。

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翌々日、1月19日。繁華街の様子を父と見に行った。
当時利用していた神戸電車も崩れた土砂のせいで、長田-湊川間が遮断され三宮(さんのみや)方面へは不通だった。
しかし、幸い三田(さんだ)方面は通っていたので、最寄から谷上経由で三宮へ行く方法(北神急行)を利用して行った。

繁華街は、私が住んでいるところよりもひどかった。
当時、私が住んでいたのは神戸でも郊外の、いうまれば山間部。神戸の中でも比較的被害は少なかったのだが…

繁華街は「ひどい」のひとことで片付けていいのかと思うぐらい、私にはひどくつらい光景だった。

余震が続く中、サイレンはひっきりなしに聞こえ、救急車・パトカーが行き交う、空にはヘリコプター。
変な例え方だが、その時自分は戦時中にいるような錯覚を覚えた。

倒壊した家屋には無事であること・避難場所を伝える立て看板、避難場所の小学校にも消息を伝える貼り紙。
日本人だけじゃない、中国人が書いたと思しき漢字ばかりの貼り紙も見かけた。
給水車に並ぶ人の列、道端で食器を洗う人、小学校の運動場でたき火にあたっている人たち。

神戸市役所旧庁舎の上部は崩れて今にも落ちかかってきそうな中、下を通った。新庁舎にはふとんをまいてうずくまる人々。

三宮の飲み屋街「東門街」は足の踏み場もないくらい倒壊がひどく、立入禁止になっていた(でも別の場所から入ったらいつの間にか立入禁止区域に入ってしまっていた)。

「生田神社」の石柱は地面に伏し、境内は落ちた大屋根でペシャンコ。

商店街アーケードもめちゃくちゃ。

道端で食器を洗う人の様子を見て、涙が止まらなかった。

自然災害に対して、人間ってホンマ無力だ。
そして、いつ来るかは予測がつかない。

震災2日前、1月15日は晴れ着を着て、友人と成人式に行った。
震災前日、翌日の後期試験であたふたしていた…。

災害は一瞬にして、人の生活を奪ってしまう。

そして、どんな小さな地震でも気分が悪くなってしまうようになった。トラウマだ。
東京の人から「治したほうがいいよ」と言われたが、あんな地震・あんな光景が頭から離れないからなかなか難しい。。。

あれから、11年。
自然災害には無力だけれど、災害の被害を最小限にする試みはできているのだろうか…??

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コメント
--震災--

TVで見て確かにショックだった。
東京にもいづれあんな地震がくるかと思うとほんとに怖いよね。(--;)
by: くら * 2006/01/17 23:47 * URL [ 編集] | page top↑
----

そうですね。
自然災害には無力でも、ひとりひとりの力はすごいんですよね。
by: しーぐぅ * 2006/01/17 22:00 * URL [ 編集] | page top↑
--11年--

都会で起こった未曾有の大災害。
人々は無力だったでしょうか。

多くの人が亡くなり、デマが飛び交い
トラウマになり、街を離れ・・・

しかし、団結し、復興に向けて歩みだした人たちもいます。

震災は避けられません。
だからこそ、体験したことを、
それが思い出すにも辛い事であっても、
語り継いでゆく必要があるかもしれませんね。
by: Dice Douglas * 2006/01/17 21:36 * URL [ 編集] | page top↑
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11年目
11年前の今日、5時46分。一瞬にして、多くの命、多くの財産が失われました。ブラウン管の向こうに広がる光景をそれを私は、どこか別の国のことと思って眺めていました。アナウンサーの言葉を聞くまでは。各所から立ち上る煙の柱。それは時間が経つにつれて次第に増え、 TSUREZUREGUSA21【2006/01/17 21:29】
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